デザイン階段へのこだわり

 

35年ほど前のことでしょうか。仕事でアメリカ西海岸を1か月ほど滞在する機会がありました。
ネットが普及した現在とは違い、土地勘や建築の情報などあるわけもなく、地元のエージェントに連れて行かれるままに各所の美術館やホテルを巡っていたのですが、最後にモントレーの瀟洒なリゾート別荘を訪問する機会がありました。日本でいえば湘南のちょっと高台にある高級別荘地を想像してもらえば宜しいかと思います。
その時、アメリカとはこういうことなのだな。日本ではこんなことが出来ないのだな。と、強く脳裏に刻み込んだことがあります。それは「どこまでも大きく、無駄で、それでもシンプル」な、スタイルを実践していることなのでした。
どこまでも広い屋根、内側に開く玄関、そして何故かリビングにどん!と設えたオープン階段。
そのすべてが自分から見ればセオリー外、無駄で融通が利かないモノのはずなのに、なぜかすべてが斬新でカッコいいことに気が付き、そして感銘を受けたのです。
機能・合理性とはかけ離れたモノのなのに、「シンプルでさえ」あれば、「無駄な装飾」が無ければ、何故かその無駄な空間が、カッコいいと思える自分がいたのです。
その時、モダニズムとはこういうものなのか。と初めて身をもって知れたということなのです。
当時の日本のプロダクツ・デザイナーといえば、他社の同等品に何かを加えた「付加価値」を求めていくことがセオリーであり、何かを「間引く」という観念に欠如していたと思います。
モダニズムのベースデザインに、他者とは違う「発想」を少し付加することだけで、差別化が出来るということを初めて思い知らされました。
そう、単純こそが面白い。簡単な造形は、わずかなエッセンスを加えることで変化することが十分可能なのです。
デザイン階段はその単純な繰り返しの中に、無限の組み合わせと可能性を秘めた、素敵なアイテムであったのです。
そして今も私たちは、企業として利益を求める以上に、その無限の可能性に携わることでデザインを創造していく楽しさを常に上位に置き、ユーザーと価値観を共有することに特化して行きたいと思うのです。